2012年12月29日
2012年の撮り納めに冬の達沢不動滝へ
4WDであれば駐車場手前の広場までは可能だった。
この日は暖かく滝の凍結部分は少なかったが
いつ見てもこの滝は素晴らしいと再確認
カメラ機種名 Canon EOS 5D Mark II
撮影日時 2012/12/29 12:41:26
撮影モード マニュアル露出
Tv(シャッター速度) 0.3
Av(絞り数値) 20.0
ISO感度自動設定 オフ
レンズ EF70-200mm f/4L IS USM
Category: BLOG
猪苗代湖 長浜周辺にて
2013年1月2日 撮影
猪苗代湖 長浜
今日は、一昨年からお世話になっている、無芸大食さん、HORIKOSHIさん、Cさんと撮影行に裏磐梯へ
あいにくの雪模様で裏磐梯撮影は断念
そしてココ長浜周辺に撮影
いろいろな話ができてためになりました。
ありがとうございます。
■HORIKOSHIさん
行雲流水
http://maru67.blog93.fc2.com/
NikonD90・NikonD7000・CanonPowerShotS90で撮った裏磐梯や福島県近隣の風景写真や日常の写真など
■無芸さん
今夜も無芸大食
http://est61.blog60.fc2.com/
普通のUNDER団塊GENERATIONのおとうさんが、日々感じた事や趣味を綴ります。
■Cさん
http://gallery.nikon-image.com/184219338/
ふたご座流星群
2012年12月14日 撮影
ふたご座流星群
撮影する予定はなかったがAM3時に目が覚めたので
三春ダムと実家近くの杉の木を入れて撮影
この木は昔からのお気に入り
4,5枚目はコンポジット加工
4枚目 15秒の100セット
5枚目 15秒の65セット
■ふたご座流星群
ふたご座流星群(ふたござりゅうせいぐん、学名 Geminids)はふたご座α星(カストル)付近を放射点として出現する流星群である。ふたご座α流星群(ふたござアルファりゅうせいぐん)とも呼ばれる。12月5日頃から12月20日頃にかけて出現し、12月14日前後に極大を迎える。しぶんぎ座流星群、ペルセウス座流星群と並んで、年間三大流星群の1つ。
ふたご座流星群の母天体は長らく謎であったが、1983年に、NASAが打ち上げた赤外線天文衛星IRASによって、ふたご座流星群に酷似した軌道を持つ小惑星・(3200)ファエトンが発見され、現在ではこれが母天体とされている。すなわちファエトンはかつては彗星であったが、ガスやチリなどの揮発成分を放出しつくしてしまった天体で、以前に放出したチリが地球の軌道と交差する軌道を巡っておりふたご座流星群となっているということである。ファエトンが太陽の周囲を公転する周期はわずか1.43年であり、現在知られている中で最も周期が短いエンケ彗星の半分以下である。また、ファエトンはかなり歪んだ楕円軌道を持ち、太陽に最も近づいたときは水星の軌道よりも遥かに内側に入り込む。このため、頻繁に強い太陽光を受け、揮発成分が無くなってしまったと思われる。明らかに活動している流星群で、母天体が小惑星であると分かっているのは、2005年現在ではふたご座流星群だけである。
ふたご座流星群は、毎年1時間あたり20個から30個の出現を見せる。条件が良いときは、1時間に50個から60個出現することもある。他の流星群のように当たり外れが大きくなく、堅実な活動を見せる。流星群の活動度が高いこと、放射点が日没頃からほぼ一晩中地平線の上に出ていること、夜が1年のうちで最も長い時期にあたること、大気の透明度も良い時期であることから、一晩のうちに見られる流星の数が最も多いことで知られる。極大はあまり鋭くなく、出現は12月10日頃から顕著になり、極大の前後1日から2日程度は極大と同程度の流星が見られる。一方で、それが過ぎると急激に減少するのも特徴だ。
ふたご座流星群の流星は、流れる速度が速くもなく遅くもなく、明るい火球なども多くなく、流星痕もあまり残らない、比較的地味なものであった。これは、対地速度が35km/sと流星群の中では平均的であることなどによる。しかし近年、満月級の明るい火球や流星痕が観測されることもあり、活動的な側面もある。
ガンジス川 ~インド~
2012年12月6日 撮影
仕事の関係でインドを訪れた
仕事の合間にガンジス川に
想像を絶する光景が広がっていた
沐浴をする者、洗濯をする者、死者を火葬する者
そんな姿を見えいると、このガンジス川は彼らの原点なのかもしれない
現地の人間に話を聞くと、ガンジス川にすんでいる人間はほとんど町の中心部には出てこないらしい
ガンジス川をはじめインドに初めて訪れたがすべてが衝撃的だった
仕事の為、観光地へはほとんど訪問しなかったが
逆に観光では絶対訪問しないような町や村を案内してもらった
本当のインドが見えたのかもしれない
写真はすべてガンジス川で撮影したもの
■ガンジス川
ガンジス川(ガンジスがわ)は、インド亜大陸北部を流れる大河。全長は2506km、流域面積は1730000km²(ブラマプトラ川水系を除けば840000km²)。
ヒンディー語やサンスクリットではガンガー(गंगा)と呼び、これはヒンドゥー教の川の女神の名でもある。 また漢語ではこれを音写し恒河(こうが、中国語音は Hénghé)と呼ぶ。 英語では the Ganges と呼び、これは和名の由来でもある。 the Nile などと同様、それだけで完結する固有名であり、本来は Ganges River のような言い方はしない。
紀元前1000年ごろに先住のドラヴィダ人にかわってアーリア人がガンジス川流域に住み着いた。やがてガンジス流域を中心に十六大国と呼ばれる諸国が成立し、その中から現在のビハール州を本拠とし、ラージャグリハを首都としたマガダ国と、現在のウッタル・プラデーシュ州北東部を本拠としたコーサラ国が強大化していった。このころ、当時支配的だったバラモン教に対する批判として、ブッダによって仏教が起こされ、またジャイナ教もこの地域で起こった。やがてパータリプトラに首都を移したマガダ国がコーサラ国を破ってガンジス流域を統一した。
マガダ国ではいくつもの王朝交代があったが、紀元前317年頃に成立したマウリヤ朝はアショーカ王の時代にインドをほぼ統一し、初の統一王朝となった。この後は王朝分立が続いた後、330年ごろにパータリプトラにてグプタ朝が成立し、再びガンジス流域を統一した。
その後、ガンジス流域を統一したのはデリーに本拠を置いたデリー・スルタン朝及びムガル帝国である。ムガルの衰退後は河口部のコルカタに本拠を置いたイギリス東インド会社が1765年に下流域であるベンガルの支配権を獲得して以後領域を拡大し、インド大反乱で支配権を取り上げられて以後は全域がイギリス領インド帝国領となった。
その後、1947年のインド・パキスタン分離独立を経て、東パキスタンとなっていた下流域がバングラデシュ独立戦争の結果1971年にバングラデシュとして独立し、現在の政治領域が確定した。
ヒンドゥー教においては、ガンジス川はガンガーと呼ばれる女神として神格化されている。インド神話によれば、ガンジス川はかつて天上を流れていたとされる。しかし、サガラ王の6万の王子を昇天させるためにバギーラタが苦行を積み、これを聞き入れたブラフマー神によってガンジス川は地上を流れることとなった。しかしそのままではガンジス川の落下の衝撃に地上世界が耐えられないため、バギーラタはさらに苦行を積み、その結果シヴァ神が川を自らの額で受け止め、髪を伝って地上へと流れ下るようにしたとされる。
川沿いにはヒンドゥー教最大の聖地ワーラーナシー(ベナレス)をはじめ、源流とされるガンゴートリーに、ヤムノートリー(ヤムナー川の源流)、ケダルナート、バドリナートを加えた源流域の4つの聖地(チャールダーム)、リシケーシュ、ガンジス川が平原へと出る地に位置するハリドワール、ヤムナー川とガンジス川の合流するイラーハーバードなどの数多くのヒンドゥー教の聖地があり、ガンジス川そのものも聖なる川とみなされる。死者をその川岸で火葬に付し、灰をこの川に流すことは死者に対する最大の敬意とされる。子供、妊婦、事故死、疫病死の場合はそのまま水葬される。また信仰によりこの川で沐浴するために巡礼してくる信者も数多い。上記の聖地には沐浴場が設けられ、多くの信者が沐浴を行う。その反面、毎年この川で溺死する人の数も多いという。
信者以外の観光客が沐浴を行うことは避けるべきである。 ガンジス川には近隣の下水が流しこまれているため、地元の人間と違って免疫のない人がガンジス川の水に浸かったり飲用したりすれば多種多様な感染症に罹病する危険が大きい。
また、この地域はブッダの生まれ、悟りを開いて仏教を創始した地域であり、生誕の地ルンビニや悟りを開いたブッダガヤなど、仏教の四大聖地および八大聖地はすべてガンジス川流域に属する。しかしその後、東アジアや東南アジアに仏教が伝播する一方でガンジス流域における仏教信仰は衰退し、ブータンやチベットが仏教国となっているものの、聖地のあるインドではほとんど信者のいない状態となっている。 仏典では、サンスクリットのガンガーより恒河(こうが)と記す。1052の単位を示す恒河沙は、ガンジス川の砂という意味であり、ガンジス川の砂のように非常に多いことをさす[6]。
また、パトナ周辺ではブッダと同時期にマハーヴィーラによってジャイナ教が創始された。