BLOG | 滝桜や三春町をはじめ裏磐梯、福島県の風景写真 Big244 Camera Work | Page 179

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吾妻八景 天狗の庭 吾妻スカイライン

吾妻八景 天狗の庭 吾妻スカイライン

吾妻スカイライン吾妻八景の天狗の庭から撮影
多くのカメラマンで賑わっていた。

フィルムカメラ使用の玄人が多かった。

吾妻八景 つばくろ谷 吾妻スカイライン

吾妻八景 つばくろ谷
不動沢橋の上から撮影

先週末は滝桜の里三春町を朝4:00起床で吾妻スカイラインへ紅葉撮影
現地6:30到着
しっかり通行料を徴収されました。6:00までは無料。
紅葉はちょっと早い感じ。今週末が良いでしょう。

写真は、吾妻八景の一つ
「つばくろ谷」
多くの観光客、カメラマンで賑わっていました。

■つばくろ谷 不動沢橋
不動沢橋(ふどうさわばし)は福島県福島市在庭坂にある福島県道70号福島吾妻裏磐梯線(磐梯吾妻スカイライン)の橋。 全長170mの鋼上路式ローゼ桁橋。2000年に老朽化のため旧橋から架け替えられた。
吾妻八景のつばくろ谷を跨いでおり、谷底まで84mある。

三春大神宮祭礼 / 三春大神宮秋季例大祭

三春大神宮祭礼 IMG_2333
昨晩は三春大神宮祭礼に。
詳しくはこちらから

■三春大神宮概要
案内板によると「三春大神宮は「しんめ様」とも呼ばれ、旧貝山村岩田にあったオシンメイ様信仰に関わる社を、元禄2年(1689)に三春藩三代藩主秋田輝季が神明宮として現在地に遷した神社で、明治8年に三春大神宮と改称されました。拝殿内には多数の絵馬があり、境内には藩の駒奉行徳田好展の指導で、石森村の仏師伊東光運が制作した白馬像が奉納されています。白馬像と絵馬10点が町の民俗文化財に、境内のモミの古木を天然記念物に指定しています。 三春町教育委員会」とあります。三春大神宮の遷座には輝秀の母、正寿院の意向が強かったと言われ三春藩の総社の社格があり、例祭は藩を上げての行事だったそうです。現在でも三春町最大の祭りとして各地区から神輿や山車が練り歩き長獅子舞などが奉納されるます。



素敵な笑顔。
三春町の暖かさが伝わってくる。

彼岸花 法蔵寺 三春町

彼岸花 法蔵寺 三春町

彼岸花を三春町内で一番古いお寺法蔵寺にて撮影。
700年の歴史がある寺院。

阿弥陀三尊像 三春町 法蔵寺

阿弥陀三尊像 法蔵寺

EOS 30D時代に撮った写真。
今度はEOS 7Dで撮影してみるか。

■阿弥陀三尊像
本尊は像高107センチメートル、定朝二十六世による享保十一(1738)年の作である。胎内前面に「享保拾壱午丙年五月上旬、京都油小路五条下ル町の住、勅許大仏師法橋民部卿康寿奉彫刻者也」の墨書がある。
二度の火災のいずれの際か明らかでないが、台座に焼跡が見られる。
上面後部が著しく、本尊仏搬出後台座にとりかかるまでの間に、火焔が背面上部から噴出したことがぅかがえる。
観音菩薩は地蔵菩薩と並んで地獄抜苦、大悲代受苦の菩薩と仰がれる。
他面、子安、身代わりなど現世利益の信仰も盛んに行なわれている。
勢至菩薩は殆ど阿弥陀如来の脇侍に配され、両菩薩像は左右相称の姿に作られる。
観音像は頭上に如来の化仏があり、勢至像はそこに水瓶をつけ、観音像は両手に蓮台を捧げ持つのに対し、勢至像はム口掌しているほどの違いである。
観音菩薩は阿弥陀如来の慈悲を表わし、勢至菩薩は知恵を表わしている。
(法蔵寺ホームページより)

三春町から郡山市へ 288号線

阿武隈川 河川敷

阿武隈川 河川敷



9月25日
三春町から郡山市へ向かう道中夜景がきれいだったので阿武隈川の河川敷で撮影。

三春町 鶴瓶の家族に乾杯 番外編

今晩、鶴瓶の家族に乾杯 番外編が放送された。
知ってる方がたくさん登場してました。

鶴瓶の家族に乾杯 番外編 三春町

鶴瓶の家族に乾杯 番外編
【ゲスト】天童よしみ,徳光和夫,【司会】笑福亭鶴瓶,小野文惠,【語り】久米明



郡山市 駅前 夜景

郡山市 駅前 夜景

昨日、会社の送別会があり駅前へ
ちょっと時間があったので、駅前のシンボル”ビックアイ”の22階の展望フロアから撮影。

キャノンピクチャースタイルのクリアを採用。
かなりコントラストが出る。個人的に結構好み。



嘉相滝









田村市光大寺近くにある

“嘉相滝”

駐車場から900m歩いた山深いところにある日本一低い滝
いい運動になった。

秋元湖 裏磐梯

秋元湖 裏磐梯

昨日の裏磐梯秋元湖。
残念ながら朝日は見れなかったけど逆に静かな雰囲気が良かった。

Wikipedia
通称裏磐梯と呼ばれるこの地域は明治時代までは桧原村などの集落が存在しており、湖は存在していなかった。
1888年(明治21年)、南方にある磐梯山が突如噴火し、大規模な水蒸気爆発に伴って中央部の山腹が崩壊(山体崩壊)を起こし桧原村方面に大量の土砂が流下、さらに泥流も発生して集落は全滅する被害を受けた。

この際に長瀬川や小野川など裏磐梯地域を流れる河川が山体崩壊や泥流によって方々で堰き止められ、桧原湖や小野川湖、五色沼といった大小様々な堰止湖が形成されるに至った。秋元湖は大倉川や中津川が堰き止められて誕生した。裏磐梯三湖の中では水深が最も深く、面積は桧原湖に次いで大きい。

秋元湖の湖水は長瀬川(ながせがわ)として流出し、下流部で三角州を形成して猪苗代湖に注ぐ。さらに猪苗代湖から日橋川を経て喜多方市において阿賀川へ合流する。こうしたことから秋元湖は河川法上では阿賀野川水系に属し、福島県が河川管理者として管理を行う一級河川である。