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2017年04月18日 撮影
三春町 お城坂の枝垂れ桜
今年の福島の桜シーズン
靄が掛ったのはこの日だけと記憶している
Canon EOS 6D
2017/04/18 06:18:26
SIGMA 150-600mm F5-6.3 DG OS HSM | Contemporary 015
Tag: 舞鶴城
お城坂の枝垂れ桜 / 福島の桜 2017
一夜城 / 三春町舞鶴城
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三春町 お城山
LEDイルミネーション一夜城
三春町の「第2回お城山まつり」で登場した
期間は2016年6月1日~4日までだがこの日はテストだろうか19時に点灯した
多くの方に三春町に訪れてもらいたい
撮影はお城山から西に当たるお寺「法蔵寺」より撮影
■第2回お城山まつり
■お城山ステージイベント
日時/平成28年6月5日(日曜日)
場所/お城山公園内(三春町字大町地内)
■LEDイルミネーション一夜城
実施期間/平成28年6月1日(水曜日)~4日(土曜日)
実施場所/お城山公園内
■明徳開門式
日時 平成28年6月1日(水曜日)午後6時~
場所 三春小学校明徳門前
※明徳門の開門式後、LEDイルミネーション一夜城の点灯式が行われます。
■城下町で一献 日本酒飲み比べ
日時 平成28年6月4日(土曜日)午後7時~9時、6月5日(日曜日)午前10時~午後3時
場所 お城山公園
■みはるグルメぐり
実施期間/平成28年5月27日(金曜日)~6月5日(日曜日)
実施場所/町内参加店舗
チケット販売所/三春町商工会、三春なかまち蔵(花かご)、各参加店舗
チケット料金/2枚1セット1,400円
夕日撮影 三春町お城山から
4月3日に撮影
昔、舞鶴城があった三春町お城山
この城の御姫様 愛姫は仙台の伊達正宗の妻
■愛姫(めごひめ)
愛姫(よしひめ/めごひめ、永禄11年(1568年) – 承応2年1月24日(1653年2月21日))は、戦国時代後期から江戸時代前期の女性。田村清顕とその正室於北(相馬顕胤の娘)の一人娘で、伊達政宗の正室。通称は田村御前。院号は陽徳院。
天正7年(1579年)に数え年12歳で伊達政宗の元に嫁ぐ。ところが、自分の暗殺未遂事件には田村氏からの内通者の関与があったと疑った政宗によって、彼女の乳母は殺害される。他に多くの愛姫付きの侍女たちが死罪にされたため、一時夫婦仲が悪くなったと伝えられている。しかしその後、夫婦関係は修復に向かったと思われ、彼女が京都聚楽第の伊達屋敷に移ってから、文禄3年(1594年)には五郎八姫(松平忠輝室)を出産。それから忠宗(仙台藩2代藩主)・宗綱・竹松丸と、政宗との間に4人の子をもうけた。
田村家には愛姫以外の子女がいなかったため、政宗との結婚の際、2人の次男を田村家の養子に迎えるという話がついていたが、次男の宗綱は16歳で夭折。後の竹松丸も夭折したため、田村氏の復興は2人の孫で忠宗の三男宗良の代まで待つことになった。
聚楽第の伊達屋敷に住むようになってからも、いわば女性外交官的役割で政宗に京都の情勢を知らせ「天下はいまだ定まっておりませぬ。殿は天地の大義に従って去就をお決め下さりませ。私の身はお案じなさいますな。匕首を常に懐に持っております。誓って辱めは受けませぬ」という手紙を送り、よく政宗を内助の功でもって支えていたと思われる。
寛永13年(1636年)5月24日に政宗が死去した後、瑞巌寺の雲居禅師の 元で仏門に入り、陽徳院と称した。政宗の17回忌前には彼女の命により、木造の政宗像が制作されたが、これは彼の面影を伝える史料として貴重なものであ る。政宗の肖像画や像は、政宗の遺言に従って両目を入れて作られることになっていたが、この瑞巌寺の木像は「夫の本当の姿を残しておきたい」という愛姫の 思いから、独眼となっている。
承応2年(1653年)1月24日に86歳で死去する。24日は政宗の月命日と同じであった。
墓所は瑞巌寺に隣接する陽徳院。導師の雲居禅師も、愛姫について「家庭をよく治め、慈愛深く聡明な奥方であられました」と、愛姫の人柄について語る 言葉を残している。また、瑞巌寺の尼僧姿の愛姫像も美しく、「愛姫=めごい(愛くるしい)姫」の愛称どおりの女性だったようである。一時期はキリシタンでもあったという。かつては青葉神社の境内にある愛姫神社に祀られていたが、現在は本殿に合祀されている。
昭和49年(1974年)の瑞鳳殿発掘調査により、夫・政宗の血液型はB型、息子・忠宗はA型であることが判明しているため、愛姫の血液型はA型かAB型であろうと思われる。